人は変われる、みんな幸福になれる
今回紹介する本のテーマです。
それもシンプルなことで。ただし理解するのはなかなか難しい。
元となるのは、心理学者「アルフレッド・アドラー」が提唱するアドラー心理学。
アドラーは「フロイト」「ユング」に並ぶ「心理学三大巨頭」と呼ばれています。
タイトルの「嫌われる勇気」これは一体なんなのか?気になる方も多いのではないでしょうか。
本書ではほかにもいくつかの「勇気」の話が出てきます。
会話形式で書かれています。結構難しく、3回ほど読んでやっと少しずつ理解できてきましたw
本の紹介
今回紹介する本は
『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健著
になります。
著者について
おふたりともアドラー心理学に出会ってのめり込んだとのこと。
本書は対話式で書かれていまして、これはギリシア哲学の古典的手法であります。
対話式のおかげで噛み砕かれて理解しやすくなっていると思います。ただ元が難しいので何回か読んでやっと理解できてきました。
印象的な箇所17選
『あなたが原因論の住人になってしまえば、過去に縛られたまま、この先ずっと幸せになることができなくなります。』
「原因論」とは、フロイトが提唱した「原因があって結果がある」考えです。
過去の原因となる何かがあるということ。
結果を変えたいのならば、原因を消去する、あるいは上書きをする。
アドラーは「目的論」を提唱しました。
これは「過去の原因」に注目する原因論に対して、「いまの目的」に注目します。
過去の原因によってトラウマを抱えるなんてことありますよね?アドラー心理学ではトラウマの存在を否定しています。
『あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。』
性格や気質を変えたい!と思ってもなかなか変えられない人たちがいます。
アドラー心理学では、性格や気質を「ライフスタイル」と呼びます。
アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選ぶものだと考えます。
性格や気質なんて生まれながらだろう、そう考える人も多いでしょう。
しかし、アドラーは10歳前後で選択しているといいます。(意識的に選択したとは限りません)
つまり、生まれながらのものだから変えられないだろうという言い訳は通用せず、選んだのだから逆に言えば選び直せるということ。
とはいえ簡単に変われる人は多くありません。
それは「(変わりたいという割に)自らがライフスタイルを変える選択をしていないから」です。
現状維持の方が楽だからですね。
ライフスタイルを変えるには「幸せになる勇気」が必要になってきます。
『すべての悩みは「対人関係の悩み」である。』
内面の悩みは存在しません。どんな種類の悩みであれ、必ず他者の存在があります。
例として「劣等感」を挙げています。
背が低い、不細工、などなどいろんな角度から劣等感は生まれます。
それって、背が高い人、イケメン美人を見たから抱く感情ですよね。
でも背が低かったり、イケメン美人でないメリットもあります。
でも抱いてしまうのは「主観的な解釈」があるから。
私も劣等感はよく感じます。
『どうしてあなたが他者を「敵」だと見なし、「仲間」だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。』
劣等感や競争から人間はどうしても他者を敵と考えてしまいます。
それは勇気をくじかれて、「人生のタスク」から逃げているから。
アドラー心理学での「人間の行動面」「人間の心理面」のあり方についての目標について
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
心理面の目標
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識
と定義しています。
他者を敵としてしまえばこの目標は達成できません。
『われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」』
自由に関する議論。
人間生きている限りどうしても他者と関わらなくてはなりません。
大抵の人は対人関係で自由を奪われます。例えば、人の承認欲求を満たそうとするとそこに自由がなくなります。
アドラー心理学では他者から承認を求めることを否定しています。
他者の評価ばかり気にしていると、他者の人生を生きることになってしまう。
私は最近これ気にしています。他の人が褒めてくれそうだからこれもやろう、みたいな考えはやめました。
『われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。』
アドラー心理学は他者からの承認を否定します。
ただしそれは「好き勝手やっていい」というわけではありません。
大事なのは「他者の課題は切り捨てる」こと。(「課題の分離」)
自分の進むべき道と、それに対する他者の評価は違います。他人の評価なんて、他人がつけるのだから自分にはどうにもできません。
課題の分離をして自分の道を進む自由が得られます。
『「自由とは、他者から嫌われることである」』
「他人に対して嫌われにいこう!」というわけではありません。
他者から嫌われることを恐れないということ。
言い換えれば、先ほど話に出た、承認欲求を求めないということです。
嫌われるかどうかは、「相手が」自分を嫌うかどうか決めるのだから、他者の課題です。課題の分離的には、自分は介入すべきことではないです。
幸せになるには「嫌われる勇気」が必要。
ここでタイトルの勇気が出てきます。
『承認欲求に縛られていると、対人関係のカードはいつまでも他者の手に握られたままになります。』
承認されるかどうかって、結局相手次第。つまり、承認を求めている限り、相手に主導権を与えているということ。
相手次第ということは、課題の分離からいうと、関与すべきではありません。
視点を変えて、自分がカードを握られるようにしよう。
するとあらゆる状況が、自分次第で変えられるようになります。
『「課題の分離」ができておらず、承認欲求にとらわれている人もまた、きわめて自己中心的なのです。』
承認欲求の中身は、他者がどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのかにとらわれているということです。
これは他人を見ているようで、実際は自分のことしか考えていませんねってこと。
『アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、全ての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。』
横の関係とは、褒めたり叱ったりしない関係。
褒めたり叱ったりすることは、そこに「能力がある人」がない人にする行為でありそれは縦の関係です。
『人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。』
横の関係の場合、困っている人がいた時どうするか。
やりがちなのが「手を差し伸べる」こと。
しかし、困っていることは相手の課題なのでそれは良くありません。
介入という表現を使っています。これは縦の関係の上でのアプローチ。
答えは「勇気づけ」。
他者を評価しないのが大事。
例えば感謝の言葉なんかです。感謝の言葉を聞いた時、自分の価値を実感でき、勇気が持てます。
自分には価値がある→「私はこの場所のなかで有益なのだ」と感じられます。
『もしもあなたが誰かひとりでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。』
それは上司との関係、友人との関係、家族との関係問わず。
逆にいうと、誰かひとりでも横の関係を築ければ他の人との関係も横の関係にできます。
私も改めて人間関係を見直してみると、縦の関係で結ばれているなと気づきました。
『交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと。これが自己受容です。』
私はここにいていいんだという共同体感覚を得るために必要になるのが「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」。その中の自己受容についての話です。
自己肯定と似ているけど違います。
自己肯定とは自分にないものをあたかもあるものだと暗示をかけること。
自己受容は、自分にないものを、ないものだと受け止めること。
自らは変えられないものは変えられないと「肯定的に諦め」て、変えられるものをなんとかすることです。
『「ここにいてもいいんだ」と思えるためには、他者を仲間だと見なす必要がある。そして他者のことを仲間だとみなすためには、自己受容と他者信頼の両方が必要になる。』
信頼について、似た言葉に信用がありますが、意味は異なります。
信用は、担保が存在します。信頼はなにも条件がありません。
他者信頼は、無条件に信じるということ。
これはとても難しいですよね。裏切られないか?なんて思ってしまうでしょう。
裏切るのはあくまで「他者の課題」だとし、自分にできることをしよう。
もし裏切られて悲しくなったら大いに悲しみましょう。
私はこれ一生できないかも。友人に裏切られた記憶がいまだに残っていますから。
『他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。』
「他者貢献が大事です!」って聞くと、自己犠牲をして他人に尽くす美談を想像する方も多いでしょう。
しかしアドラーはそれは否定しています。(「社会に過度に適応した人」と位置付けています)
われわれがしている仕事なども他者貢献です。
仕事は誰かしらを助けることに繋がりますよね。お客様がいるわけですから。
『「幸福とは、責任感である」』
本書の終着点であります。
貢献”感”とは、目に見える貢献でなくてもいい。
「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚があればそれでいいということ。
貢献しているって「承認欲求」なのでは?
いえ、承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がありません。
共同体感覚を持ち合わせれば、承認欲求なくとも貢献感が得られます。
『過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうかであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。』
禅の世界にも「一息に生きる」という言葉があります。一呼吸するその瞬間、その瞬間も一生懸命に生きなさいという意味。
過去未来を気にして生きていることは「いま、ここ」を真剣に生きていないということ。
過去未来に縛られて心配事を抱えてしまうタイプなので、これを心に刻んで「いま、ここ」を真剣に生きていこうと思います。
本書から学んだ3つのこと(3行ノート)